マニラ発 「エンジニア争奪の熾烈」

 1980年代後半のバブル経済でわが国の人件費は世界最高水準にまで高騰した。 この高水準の人件費は産業界から競争力を奪い、わが国エンジニアリング企業はローコストのリソースを求めて海外に進出した。 その中で英語に堪能な国民のいるフィリピンは、わが国のエンジニアリング企業の重要な拠点になった。 すでに日系エンジニアリング企業やプラントメーカーがフィリピン進出を果たして10年が過ぎるが、そのエンジニアが今、韓国や欧米企業に引き抜かれている。 エンジニアの争奪は今、熾烈を極めている。

☆マニラで始まったエンジニア争奪戦の熾烈  年間離職率20%も、引き抜き防止策は「仕事のやりがい」
☆JGCフィリピン、EPC独自受注に注力  フィリピン進出最古参、目指すは従業員の達成感
☆カタール向け大型プロに追われる千代田フィリピン  第二次成長期への課題も浮上
☆プラントに加えボイラーにも対応したIHIフィリピン  急拡大も人材流出に直面、魅力ある会社作りに着手
☆独自事業のウェイト上げるJ-SYSフィリピン  人材流出防止に「魅力ある会社作り」


(Vol.176 2007年3月25日号より)

重化学工業通信社
ENN編集部